依存症

第三者と違うことが言えるのは自分しかいない。

 

数年前、私が中学3年生の家庭教師をやっていたときのこと、

生徒が3年生になったばかりの時期にこんな会話をしました。

 

「先生、俺はこんな偏差値が高い高校は無理だよ。だから学校の先生にもこの高校に行きたいってこと、まだ相談してない」

 

「なんで、無理だって思うの」

 

「だって、学校の先生はそういうと思うから」

 

「学校の先生はそう言うかもしれない。いまの君の成績をみる人はだれでも言う。しかも、みんな自信満々にそう言ってくると思う。でも、ほかの人と唯一違ったことを言えるのは、いま現時点では君しかいない。先生やみんなの考え方を変えられるのは君しかいない。恐がっていちゃだめだ。

 

そのあと、この生徒は、学校の先生をはじめ、たくさんの大人に挑戦状をたたきつけ、いろんな人たちに担ぎあげられながら、勉強をがんばって見事志望校に合格しました。

 

数年後、私は就職し、たくさんの大人にかこまれるようになりました。

 

いちばん驚いたのは、この生徒のように、みんなこうこう思っているからということで現実に起きもしていないことについて好き勝手に講釈を垂れて、自分の将来や自分の可能性についてまるごと投げ捨てているような大人がほんとうに大勢いるということです。

 

できるからやるんじゃなくて、やるからできるようになるんじゃないの。

 

自分のことをたいして知りもしない人に自分の大事なことを依存して、その人がだめっていうからやらない。その人がだめって言うことそれ自体が自分の行動を殺す根拠として妥当じゃないにもかかわらず、操作されることを許している。